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◆かわい接骨院◆はり・きゅう院◆

痛みは体が助けを呼ぶシグナルです・・・ 気がついたら早めに手当をしてあげましょう。 ご自身の身体のSOSを見逃さないでくださいね♪

2014年院長コラム初秋 

『2014夏の終わりのハーモニー』

このコラムを書き始めたのは、8月21日(木)です。残暑もまだまだ厳しく、外はギンギンに太陽が輝いております。高校野球の三回戦で我が田舎の日本文理が富山商業に9回裏逆転サヨナラホームランで勝ちあの5年前の準優勝して以来のベスト8入りをし、気分よく午後の診察に入る前にコラムを書き始めました。

本日は8月25日(月)、高校野球の決勝戦がこれから午後一時から始まるという案内が当院有線放送のスピーカーから流れております。残念ながら故郷の日本文理は準決勝で三重高校に敗れてしまいましたが、みんなよく頑張ったと想います。日本文理のナインの皆様お疲れ様でした。という訳でこのコラムを書き始めて数日が経ってからの再開ですが、すっかり涼しくなってきて、アブラゼミが最後の声を振り絞って鳴き、それに代わってヒグラシやツクツクボウシが元気に我を主張し始めております。川沿いをジョギングしておりますとアカトンボも飛んでおりますし、季節は限りなく秋に近づいているのだなぁと感じられる今日この頃になりました。帰郷の際のお土産話を一つしたいと思います。今年は台風11号の影響で予定していた妙高カントリークラブでのゴルフもキャンセルになり海水浴も高波の影響で中止しすっかり淋しい夏休みだったのですが、お天道さんにも文句を云う訳にも行かず、そこは持ち前の気分の切り替えの早さで、急遽予定を変更し、姪っ子(高1)のバーレーボールの県大会上越地区予選の観戦に出掛けました。3チームが4つのグループに分かれ初日は総当り戦を行いグループの1位が無条件で県大会進出、2日目は残り1席を掛け1日目負けた8チームがトーナメント形式で争い、計5チームが県大会出場となるとの事でした。姪っ子の学校は新潟県立新井高校といいまして、今年のソチオリンピックでジャンプ団体、銅メダルを獲得した清水 礼留飛選手の後輩に当たります。同グループには県立高田農業高校と県立柏崎常盤高校でしたが惜しくも2位で翌日の敗者復活戦に臨み、残り1席になんとか座ることができ、県大会に進むことが出来ました。県大会に出場するのは県立高田農業高校・県立高田高校・県立柏崎高校・私立関根学園・県立新井高校の以上5チームでした。 初めて女子バレーの観戦を行いましたが、ルールも分かり やすくなり観ていてとても楽しく白熱しました。我々の高校時代とは違い、親御さんが沢山応援に来られているのにびっくりしました。全日本の女子バレーもハイブリット6という新フォーメーションで先日の大会で銀メダルを獲得しましたね。2020年の東京オリンピックに向け着実に力を付けているのがわかります。ガンバレ にっぽん!

我が田舎の上越高田は今年開府400年を迎えたそうです。その歴史を簡単に書かせて頂きます。高田の町は、越後一国の国府として、慶長19年(西暦1614年)に新しく作り出された町で、徳川家康の6男・松平忠輝の居城として建築されたのが高田城です。高田は加賀藩前田家を抑える重要な場所であり、佐渡から江戸へ運ばれる御金荷の通路でもありました。さらに、北国街道の関川関所(妙高市)と鉢崎関所(柏崎市)、加賀街道の市振関所(糸魚川市)の管理・警備を担う、政治上重要な拠点だったそうです。高田城に本格的な建築工事の指揮を執ったのが、忠輝の正室・五六八姫の父である伊達政宗です。高田城が築かれると、城下町も徐々に整えられ、城の周囲には武家屋敷が置かれ、その外側に町人町、さらに外側に寺町が配置れました。現在もその名残が随所に見られますが、18世紀前半になると、武家地が縮小し、耕地化して行ったそうです。榊原家の時代になりさらにその傾向が続き、幾度となる川の氾濫や度重なる地震の影響により城の周辺は姿を変えて行った模様です。幕末から明治へ時代が移り変わりますが、幕末、倒幕の機運が高まる中、当時の朝廷では各藩を「勤皇」「朝敵」「不審」に分けて把握しており、高田藩は不審の筆頭に挙げられていました。これは、榊原家が「徳川四天王」という譜代の名家の家柄であること、旧幕府が越後の幕領管理を「朝敵」である会津・桑名両藩とともに高田藩に任せていたことによったそうです。戊辰戦争では、本隊の高田藩士のほか、本藩と連絡不通になり、奥羽越列藩同盟と行動をともにした奥州領釜子陣屋(福島県白河市)の高田藩士、函館五稜郭まで旧政府軍と行動をともにした江戸藩邸の高田藩士と、それぞれの決断によって三つの軌跡をたどったそうです。戊辰戦争終結後、明治新政府が断行した廃藩置県によって高田藩は消滅し榊原家の統治も終わりました。

今現在は高田城は復元され、夜桜をバックにライトアップされた三重櫓は素敵ですので是非とも桜の咲く季節に見ていただきたいですね。夏の時期は東洋一の蓮に囲まれ、これもまた趣があっていいです。城の周りは公園になっており、野球場や陸上競技場、動物園等があるのですが、その中の一つに高田図書館も公園内に建立しており、28年ぶりに図書館の中に入り、高校三年生の夏、予備校の夏期講習が終わった後に毎日この図書館に立ち寄って、朝日新聞の天声人語を読んだりしながら、この先目標もなくただ漠然とした状態のまま大学に入学した方がいいのか、それとも何か手に職を付けるための学校に行った方がいいのか、色々葛藤した青春時代を思い出した次第であります。甘酸っぱくはなかったなぁ・・・(笑)

FM東京を聞いていると時々流れるコマーシャルで「年に一回だけ田舎に帰り両親の顔を見るとすると、あと何回両親の顔を見ることが出来るのであろう?」みたいなフレーズが流れるのですが、平均寿命からすると親父には10回、おふくろには15・6回しか会えないという事実があります。そう考えると今まで何にも親孝行らしい事もしたことがないですし、孫の顔を見せてあげることが出来たくらいですか・・・。なかなかこっぱずかしく親の顔もまじまじと見たこともなかったのですが、今回はしっかり気付かれない様に両親の顔を脳裏に焼き付けて参りました。今回の夏休みは実家に5泊もした為、家内からはかなりきついクレームが来ましたが、天気が悪くゆっくりと実家で過ごしたある意味骨休みが出来た思い出に残る夏休みとなりました。皆様にはご迷惑をお掛けいたしましたが、おかげさまで愉しい夏休みを過ごさせていただきました。ありがとうございました。
ちょっぴり名残惜しい気がいたしますが、さ・よ・な・ら2014夏の日・・・ありがとう!

かわい接骨院・じょんのび治療室主宰 川合 晃生
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category: ◆院長コラム◆
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